認識

象は大きいか。

大体の人がこう聞かれると大きいと答えるだろう。

人間の認識は、比較を使わなければ成立し得ない。

これは、言語にも現れており、例えば日本語の形容詞大きい、早いなどは過去の蓄積による比較対象があってこそ認知できるものである。

自分は勝手に幸せポテンシャルエネルギーというのを定義しているのだが、幸せは過去の基準によって決められたある点を超えたら幸せと感じ、それを下回れば不幸と感じるため客観的事実は全くもって意味が無いのである。人間の悩みや幸せなどは全て相対的な認識で成立している。だからこそ悩みが消え去ることなど無いのである。

自分が思うに、人間は幸せになることが生きる意味とほぼ等しいのだが、幸せというのは過去との比較で現在がその点を上回っているかどうかなので、幸せな状態というのは動的であり、維持し得ないため幸せであり続けることは実質不可能である。

では、生きる上で大切なことは何か。それは、悩みを減らしたり幸せを求めるのではなくそういう負の感情との付き合い方である。

負の感情をメタ認知により俯瞰したり、完全にその感情から目を逸らすために違うものに没頭したりと対処は色々あるもののそれは永遠に付き合わざるを得ないためその方法を早く確立することこそが精神的に健康に生きていく近道だ。