中学生ぐらいからずっと疑問だったことがある。

それは、昔はサッカー選手になりたいと言っていた人が突如として諦める現象のことである。

それはなぜか?

きっと人生経験としてそれなりのサンプル数が集まった上で自分を客観的(笑)に見たときに可能性が低いと判断したからだと思う。

バカで浅はかだと心から思っている。

基本的に未来を予測するという行為は、仮説を前提にして議論が進んでいくので鮮明に描こうとすればするほど精度は落ちていく。だからこそできるだけ信頼性の高いファクトベースで構築しないといけないと自分は思っている。そのとき、多くのサンプルが失敗するというファクトをベースにして仮説を組み立てることは本当に高い精度なのか。

おそらく、そんなに大ハズレする仮説ではないが自分はもっと重要視すべきファクトがあると思う。

それは、自分の能力である。しかも、ここでいう能力とは先天性、後天性の二つのベクトルの和で形成されたものということに注意して欲しい。

きっと、顔の造形や足の速さは先天性のベクトルが大きく勉強は比較的低いものだと考えている。

ここで1番大切なのは、後天性に得うる能力はやってみなければ分からないということである。

自分は、客観的な視点を持っていると思っているバカから見ると無謀な夢を掲げてきたように思える。プロサッカー選手になること、久留米附設に行くこと、東大に行くことなど。

自分は、小学生ぐらいの頃からここまで言語化出来てはいなかったもののベースにするファクトが自分の能力ではなく大衆の平均値である周りの大人や友達にかなり違和感を持っていた。それはきっと今後もそうであろう。でも、そんな自分でも諦めることがある。そして諦めるタイミングが抜群に上手いという自負がある。じゃあ、そのコツはなんなのか。それは、諦める理由の解像度に着目すればわかると思う。

後天性に得うる能力の幅は、最初のうちは分からないが何年か努力すれば(きっと世の中の90%の人は心が折れるので無理だが)、ある程度計算できるものだ。そのときに諦める解像度の高さはかなり高いと思う。具体例をひとつ上げよう。自分は、浪人のとき東大の理科三類を受けていても30%ぐらいの確率で受かっていたと思う。しかし、受けなかった。その理由は、①英語が理III受験生と相対的に出来なかった(特に英作文とリスニング)②そこまで積み上げれるほどの努力が出来なかった

まあ、②のせいで①が出来なかったわけだが、ここが改善されていれば理IIIを受けていても7割合格するレベルには達することができていたと思う。(受験というゲームの性質上、100%にはならない)しかし、街中の人に理IIIに受かると思いますか?と聞いたとしても自分は頭の出来が悪いから無理ですと答えると思う。解像度のレベルが違う。頭の出来の定義とはなんだろう。それは、全て先天性依存で決まるのだろうか。本当に後天的に補完することは出来ないのか。解像度を上げるためには努力が必須である。

努力とは、夢を叶えるだけでなく夢を100%納得した形で諦めるためにも必要なものだと自分は考えている。

最後に自分は意志が弱いので、今の自分の夢を書いて終わりにする。

自分は、50歳になったときに日本一の実業家でありたいと思う。今はまだ孫正義三木谷浩史と脳のOSという観点で考えると劣っていると思えないし(寧ろ三木谷浩史に関しては明らかに自分の方が上回っている)、実業家として脳のOS以外に必要な物が分かっていないので諦める理由が見当たらないので突き進もうと思う。